複勝を狙え
昼近くになって、ようやく二人とも寝心地の悪いソファから起き出した。しばらくボンヤリしていると藤堂さんがシュッと財布から2万円を出し、ミネラルウォーターと淹れたてコーヒーと梅干しのおにぎりを買ってくるようオレに言った。
「ふわぁぁい……ん、でも1万あれば足りますよ」
「バカ、1枚はお前の軍資金だ。その釣りでオレとお前の夕刊もあとで買っとけよ。最初は早め早めに準備した方がいいぞ。備えあれば憂いなしってな」
「人事を尽くして天命を待つっていうのもありますね」
「ま、そういうことだ。早く行ってこい」
コンビニのコーヒーを片手に一息ついていた藤堂さんが、おもむろに聞いてきた。
「お前、馬券は何を買うン?」
ふと、弁当の生姜焼きをはさんだオレの箸が止まった。
「そういえば、馬券の種類までは考えてなかった……藤堂さんは複勝ですよね。基本的に儲かればオレは何を買ってもいいんですか?」
「ん、ああ、お前にプッシュをやらせようとは思わないし、元手が1万円だからなぁ、20万にしたいと思ったら、それなりの配当が必要だわなぁ」
「に、20万!1週間暮らすのにそんなにいりませんよ」
「へ?……お前、それでも男かよ〜‥‥‥ちったあ遊んでくりぁいいじゃねえか。アソコとかアソコとかアソコとか……」
「どこなんすか、それ……そりゃ新しいタブレットは欲しいし、靴も欲しい、寒くなってきたから今年のダウンジャケットも欲しいっすよ。でも今は遊んじゃいられませんって」
「わっかいのにしっかりしとるのう。物欲ばっかでつまらん……」
「なんとか5、6万になれば、1週間暮らせるし、余ったお金でまずタブレットの……」
「あ、あまったかね?? ハァ、ますます嘆かわしい……サラリーマンか、お前は……欲しいものがあったら稼げ稼げ!」
「でも負けちゃえばその週は金無しなんだから。日頃の蓄えも必要ですよ」
「……わ、わかった。わかったから……(こづかいやる気も失せるな)……でも馬券はきちんと買えよ。お前の話を聞いてると、隠れて1万円で1週間過ごそうとしそうで怖いわ、まったく……ウオ!酸っぱ!」
藤堂さんはおにぎりを口いっぱいにほおばったまま、固まっていた‥‥‥。
「ほわ〜、目が覚める!‥‥‥お前、1万を5、6万にするって軽く言うけどな、その5、6倍の馬券ってのが一番難しいんだ」
「え、安い配当は来る確率が高いんでしょ?」違うのかな?
「アホかお前、自分の考えが穴狙いだったら、結論がそんな安い馬券にたどり着く訳ないだろ。それに 低配当=高確率なんて、寝言だわ!負けてる奴に限って、確率論を持ち出すし」
「そっか、04キャラは基本的に穴狙いだし……あ!」
「どした、なんか気づいたか」
「藤堂さんの狙い馬って、たいてい1頭でしたよね!」
「そうよ。そこがミソでもあり、難しさでもある。人間だれしもが16頭から1頭を選ぶだけで四苦八苦するレベルなのに、3連単だぁ?そんな面倒見られるかって。ヘタの横好きよ……オレはな、昔、この足りない頭で株式投資もやらされた……」
「ふんふん」
「投資ってのは、例えば自分の買いたいセクターが食品であっても、2つも3つも食品会社の銘柄なんか買わないっつうの。一番買いたいところを1社買う。他をいくつ買ったって代わりにはならねえんだから、それが自然だろ?」
「はあ、逆に競馬は2頭、3頭の組み合わせを買うのが普通ですけどね」
「そう、それは日本の馬券文化のせいなんだが……とにかく 究極は自分の狙った馬で最大利益を取る。狙い馬がダメだったらあきらめる 。だから複勝と単勝なのよ。狙い馬は来たけど2番手3番手が来なくて負けちまった。そ〜んな二兎を追うバクチで配当が5倍ぽっちじゃ、いかにも割に合わない。心臓がいくつあっても足らねえよ」
「馬は簡単に転びますしね〜」
「うん、会社の倒産よりはるかにあっけなく、な」
「そうかぁ……すると、オレも狙いは複勝で……」
「けど、今度は5倍の複勝っていうプレッシャーがあるんだぞ」
「ふんふん、そうか、複勝でいいんだ。なんか当たる気がしてきたな」
「……聞いてないなバカヤロ、そんなセリフまだ100年早いわ。複勝馬券の買い方のキモも知らないでよ」
藤堂さんは梅干しの種をプッと吹き出した。
「 複勝はな、3つの椅子を争う 椅子取りゲーム なんだよ」