プッシュ屋稼業 競馬残日録

〜修行編〜 世の中にヘンテコな稼ぎ方は数あれど……

オレにはないもの

「よし、そうと決まりゃあ、少し競馬の話もしなきゃな」

熱いのもう1本ね、と注文してから、藤堂さんはグッとオレの方に向き直ってしゃべり出した。

「それにしてもよ、お前、競馬知らないって言ったけど、そんなことないだろ」

「え、まあ、馬券の買い方とか、新聞の見方とか、そのくらいなら……」

「い〜や、今はもうそんな次元じゃない、競馬に興味津々って感じだ。じゃあなんで毎週オレに馬券の自慢話をさせるんだ? あんなの自分で買わなきゃ、クソ面白くもねえはずだ」

「それは……その〜なんていうか……オレ、ガキの頃から、どうして、とか、どうやってっていうカラクリの話を聞いたり、自分で調べたりするのが好きで……」

「ああ、やっぱり男の子なのかしら……」珍しく女将さんが相づちを打つ。

「いや、普通のヤツならこんな稼業に少しでも身を置けば、たいがい金のことばかり考えるようになる。ところがこいつは金に汚いそぶりを一度も見せたことがない。聞くのは馬の選び方ばかり。それでいてオレに隠れて馬券を買うこともなけりゃ、儲けたい、儲けたいと言うこともない」

「やっぱり、育ち、かしら」

「はは、志野ちゃん、それはオレにとって耳の痛いご指摘だな」

「あ、ごめんなさい、えっと、果物でも切ってこようかしら。熊さ〜ん、甘い柿があったわよねえ……」パタパタと女将さんは奥に引っ込んでしまった。

 

ふーっと一息ついて藤堂さんは続けた。

「今の若いのってのはみんなそんな感じかねえ……。会ったときから不思議だ不思議だと思ってたけど、この頃やっと分かった。お前は根っからの職人気質なんだ、きっと。ビジネスマンじゃないな。だからこそあの日、オレと会ってこんな世界にハマっちまった」

確かに、あの日の藤堂さんとの出会いは、オレの生まれつきの気性がそうさせたとしか言いようがない。もう偶然じゃなく、奇跡に近い。

「その好奇心旺盛なオツムと気持ちさえ変わらなければ、たとえ教える時間が短くても、オレの話で競馬というものが理解できるかも知れない。幸いなことにお前は馬券でやられたトラウマがないし、オレがやられる姿もあまり見ていない。まっさらの身で競馬に向きあえる」

「でも、オレ……できるでしょうか」

「それは、なんとも言えない。しかしオレに初めて、他人に競馬を教えてみようと思わせた何かがお前にはある。なんだろう、オレにはないものだなあ 」

藤堂さんはそんなふうに言ってくれるけど、こっちは生きてきてこの方、何かに自信を持てたことなんか一度もないし、もしかして自分が金をたくさん持つ姿も想像できない。けど、けど……金でどうしようもなくなってここに来る依頼人を毎週たくさん見て、夢とか目標とか持つことがキレイで、金の話が汚いとは、必ずしも言えないって……そうだ、あの日オレが握っていたのも結局札束だったんだし……。

 

「約束を2つだけしておこう」

いつの間にか、カウンターに女将さんが切ってくれたピカピカの富有柿が出されていた。

「競馬に関しては、オレの言うこと以外聞かなくていい。時間があまりないから集中講座でいく。余計な情報に惑わされるな。聞きたいことはオレにどんなに聞いてもかまわないから」

「はい。もう一つはなんですか」

「さっき言ったとおりだ。ここを離れる日が来たら」

シャキッと柿をほおばりながら、藤堂さんはキッパリと言った。

「 競馬のことは忘れろ 」